幼心から気がついていた不仲の両親。
彼女は結婚に夢も希望も無く、結婚に否定的になり、実家にずっといました。
先に母親が痴呆が始まり、
父親は足腰が立たなくなり、
「ダブル介護です」と肩を落としていました。
互いの年金のことを調べてもらい、
二人とも一人っ子で両親から遺産をもらい、ある程度まで仕事をしていたので、お金はなんとかなりそう。
とにかく彼女の心の平穏を保ちたい。
「ごめんね…私からの意見なのですが、それなら互いに別々の老人ホームに入ってもらうのはどうかしら?」と提案してみると
「それならきっと両親とも了解してくれると思います。二人とも私に負担を掛けたくないと別々に言っていましたから」
お互いに別々な老人ホームへ。
父親は母親の介護から離れられるので意気揚々と入居。
母親はどんどん痴呆が進み、娘のことを
「どこのお嬢さん?」というようになった。
老人ホームに入り、数ヶ月後、父親が朝ベッドの上で突然死。
友達が居なかった父親の葬儀は自分だけ。
母親にそれを報告することもなく、時々面会を繰り返し、母親の持っていた株や母親の実家の整理などをするために休日には他府県に行き・・
休日なのに疲れるばかり。
母親は食べることもわからなくなり、施設の方には
「人として自然の死に方をお願いします」と公式な書類を書いて提出。
食べなくなった母親はどんどん痩せていき・・
あの世へ。
お葬式は近所の人を数人呼んだだけ。
その後、一気に一戸建ての家の処分。
母親の大好きだった着物を買い取りに来てもらうと、わずかに数千円になり、
父親のものは全く値段にならなかっただけで疲労しか残らなかった。
家具や家電を出すのにお金がかかると思っていると解体業者さんが
「そのままでいいですよ」と言って、家を簡単につぶしていく光景。
それを見て
「やっと終わった、と思ったら涙がやっと出てきました」と言われました。
彼女は小さな賃貸マンションへ引っ越し。
小さな仏壇には母親の戒名が書いてある位牌だけ。
父親のは父方の本家に引き取ってもらいました。
「生前、両親は仲が良くなかったから仏壇にもお墓にも一緒にできないと思ったのです」と寂しくお話していました。
こうして彼女はお母さんと二人暮らしでこれからを生きて行かれるそうです。
生きてしっかりしているうちにいろんな書類を始末しましょう。
愛する息子、娘に「疲れた」という言葉を言わせるのは可哀想です。
もちろん、これに付加されるのは兄弟姉妹の
「誰かやるの?」
「私は忙しいからお兄ちゃんやって」
「なんておれ何だ」
と言う揉め事。
「全部終わらせてくれていたから助かったわ、ありがとう、お父さん、お母さん」と言われるようにしましょう。