まぁ…おばさんの職場というところはちっちゃなことで揉めるのが好きな人が多い。
ご自宅とお間違えになられている方が多く、
職場で自分の我を通すのだから仕事をきちんとしようとしている人間にとって邪魔でしかない。
トイレ掃除のスポンジのことで言い争う。
はたから見ている人にとって呆れるしかない。
と言うことで、若い人が私に聞いてきた。
「これこれこういうふうに思うのですが、私は間違っていますか?」と。
「いえいえ、あなたの考え方が正解。
あそこで揉めてる人達は
自分の正義を貫こうとしているので、
あなたの正義は人と違う考えのために戦うのではないと思っているから、大切にしてね」と、私は答えている。
「先輩はイラッときませんが?」と聞かれたので、
「来るよ。でもそのイラッっとをできるだけ自分で整理し、確認するようにしてるのよ。
無理に押し込んだりしてないのよ」と答えると、
「へぇ…落ち着いてるんですね」と言うので、
「私なりの答えがあるの」と言うと、
「なんですか?」と聞かれ、
「私自身を含め人は誰でも死ぬのよ。
あの人達もいずれ死ぬのよ、と思ったら怒りが少し収まるのよ」と答えた。
子供時代にお盆とお正月に来る親戚のおじさんから陰湿なイジメにあっていた。
親には言えず、ひたすら我慢。
高校卒業後、実家を出た後、お盆、お正月はワザとずらして帰省したおかげでおじさんに会わなくて済んだ。
数年ぶりにおじさんにあった時、おじさんの髪は抜け、身体は痩せこけ、背中も曲がり、歩き方もヨボヨボになっていた。
ああ、この人もいずれ死ぬんだ、と思った時に、心の中の何かがスーッと抜け、体の感覚が変わったのを感じた。
それからは
カチンとか、
イラッとかきたときに
「この人もいずれ死ぬんだ」と勝手に死が浮かんで来るようになった。
だた不思議なのは
全てのカチンとかイラッとかに当てはまらない時もあるということ。
何が違うのか解釈が完了していないのは事実。
死が当てはまらない人かいるわけないのにね…
ん?死なせてなるか?とか無意識で思ってる?(苦笑)
半月前、フッと小さな本屋さんに入ってみた。
あれこれ見ていると、
あら、ストイックって奇抜な題名ね、と思って立ち読み。
面白い!
速攻買い!
STOIC〜ストイシズム、
哲学書ですが、優しく書いています。
考え方を学べますし、結構な気づきを与えてくれます。
そして何より、表紙をめくるとある言葉我書いてあった。
あ…やっぱりね、
究極はここなのよね、と深く頷けた。
あなたの“悩みの考え方”を軽くさせると思います。
私のもう一つ好きな言葉がありましてね、
それは…
「これもまたいずれ過ぎ去る」。
人生はこれの繰り返しですよね。