幸せって何かしら・・といまさらながら考えることがありました。
それは会社の人や、周りの人達が
「何もないから暇」
「することがない」など日々の平凡さに不満を話していることでした。
私にとっては何もないことが幸せと思っていたので
使わなくてもいいところで心を使わないこと。
人生で大変なことを超えてきた人たちにとっては心を使わなくて済むことがどれだけありがたいか、ということを知っているからです。
「ネットでドラマや映画をたくさん見れるからいいわよ」
「あのドラマ、映画見た?」と言われるたびに
強い心の痛みを経験した人や知っている人ならたくさんの人生ドラマを見ると大変疲れるのです。
ましてゲームの世界であったとしても・・戦闘シーンを見ると痛みが走る人が多いこともいることを知っていただきたいと思います。
一番疲れるのが事件や事故をずっと話ているのを聞いていることでした。
それも私は仕事現場が複数あるので同じことを聞くことも多々あります。
私は刺激を回避する方法を多少なりともできる人ですからまだ大丈夫ですが、これができない人にとっては
「会社に行きたくない」というお話にもなります。
自分が受けた楽しい刺激や負の刺激を回りに話してご本人はいいのでしょうけれど、こちらが受ける刺激のことはあまり考えておられない。
でもその刺激を聞きたくて求めている方もおられるので、困るのです。
電車の中で事件を起こした犯人が話していた言葉が
「みんなスマホを見ていたから行動を起こしやすかった)」言ったときに確かにそのタイミングはあるわよね・・と思いました。
ほとんどの人はスマホを見ているので良くないことを考えている人はアクションを起こして大量に人を襲えるタイミングとして思っています。
私は刺激を求めている人達の世界から離れる『プチ』訓練を日々しています。
スマホの刺激から離れ、美しい中吊り広告や、地下鉄でも駅の風景もそれぞれ違う風景、雰囲気、地上に上がるところがあるので景色や風景が美しいところを楽しむようにしています。
公共の場所である限り、いろいろな人がおられます。
ぼ~っとしているといつ誰がぶつかってくるかもわからない必要な注意や警戒心などは最低でも稼働させておきます。
数日前、清掃の仕事で座り込んで床を磨いていたのですが、真横から従業員に蹴られました。
従業員の女性はスマホを見ながら歩いていたのです。
「すみません」と謝られたのですが・・
それはいいのですが、
「蹴っちゃったぁ~」と周りに笑いながら言うのです。
いやいや・・
そっちの方向へ行きますか?と思いました。
スマホの中の刺激を求めて集中しているのでしょうけれど、
集中ではないですよ。
執着ですよ。
切り替えができないものは執着です。
刺激を求めている人たちからは少し現実的に離れるようにしています。
乗り物ではできるだけ薄目を開けて心を静かにして体の声を聴いています。
心は落ち着いてる?
心臓はちゃんと動いている?
内臓は健康?
唇は渇いていない?
最近とっていないビタミンは何?などです。
足や背中、体は大丈夫?と普段確認していないことをしています。
電車やバスは窓から見える風景を見ています。
“今”だけを自分に取り入れています。
この生活をするようになってから、スマホはほとんど見ることがなくなりました。
見るのは駅のベンチや喫茶店などでブログを断片的に描くことと、雨雲レーダーとスーパーのアプリ。
ですから、最近はスマホでは2ギガも使わなくなりました。
それと、首と肩の疲れが軽くなり、寝る前のストレッチにも違いが出るようになりました。
心を使うのを辞めてみるのは難しいですが、数を減らすことはできます。
心を刺激し過ぎて日々疲れ切っていませんか?
自分に刺激を与えられるだけ与えて、楽しく生きているはずが疲れ切っていませんか?
スマホを見る時間を減らすと、きっと新しいことが見えてくると思いますよ。
私は一時間早く寝ることができるようになり、一時間長く寝られる毎日になりました。
つまり、朝が楽。
幸せになりました(良かった、良かった)