清掃で60代前半の同僚さんが
「主人はあの世だし、子供はいないし…介護してもらえる人なんていないし…
甥や姪は何かあったら連絡してね、とは言ってくれるけれど正直その前に自分の心が落ち込むから…そのぐらいなら徹底的にボケてやろうかと思って」と笑っていました。
言葉通りに聞いているとちょっとそれは…と思うかもしれませんがご主人の病気の事で苦労しているのを聞いているので本音の苦しさは前から私には伝わっています。
長生きなんて…家族さんと仲良しさんなら生きている意味もあるかもしれませんが、
誰もいない一人ぼっちなら心が不安と寂しさと苦しさが厳しい。
「人生100年」と言われると
「もうそんなに生きなくてもいいわ」と言える自分になりました。
健康にも不安ですし、長生きしてもお金が足りないからしんどいと知っているので。
お年寄りがスーパーで食品を持ってじっと見ては元に戻して…
値段を何回も見たり、
ものを探すのに苦労されたり…
耳が遠いので店員さんが話すスピードが聞き取れない。
ちなみに私も
「え?」が出てきています。
“買い物サポーター”とか、“お手伝いボランティア”さんとかそういう人が居てもいいと思うし、いつも来ているお客様が来なかったらお家を訪ねるなどの地域ボランティアさんとかいるといいのに…と思うことがあります。
“食べる”は“生きる”ですから。
慣れたお店でないと買い物が大変。
つまり…慣れた病院でないと…大変、と一緒。
先日、
「60代前半であの世へ行くつもりだから病院へは行かない」と話していた知人がワクチンを接種してから数日後、極度の頭痛に襲われ、痺れが来たらしく…
「本気でマズイと思ったわ」と真剣な顔。
でもまだ病院へは行っていない…
頭痛程度…と言う知人。
スッキリ、パッタリあの世へ行けるなら受診を勧めることはしないけれど、麻痺と戦うのは辛しい、とりあえず病院慣れはしてほしいわ、と願っているのですが…
とりあえず、生きている間は全身使えるようにはしておいたほうが良いですよね。
昨日、友人が遊びに来てくれて、年末調整の書類の書き方の話になりました。
「これ、毎年書かないとならないのよね」と話になりまして、50才の友人が
「今年から年末調整はネットで、と会社から言われたのでもう怖くていや」と嘆いていました。
ネット…
嫌い、苦手な人にとっては怖い、しかない。
難解な役所の書類などはスマホの操作だけでも逃げたいのにまして税金って…わからないし、怖くて仕方ない。
今のお年寄りは昔当然若かった頃にはまさか自分が出来ないことがこの世に広がるとは…と思っていると思いますし、私も年を重ねたら出来ないことが広がっていると思いますし。
「嫌だけれど、とっても嫌だけれど…慣れるしかないのよ」
100歳近くなったら役所のお世話になっているとは思うけれど…
痴呆で何にもわからない状態ならまだしも、精神がもっと大人になっていないと…自分が辛いとこばかり自覚する時間が増えていくかもしれないわ、と少し思ったりして。
全てに慣れておく。
物も行動も、
いろんな良いこと、良くないことなどの刺激も、
それに対する自分が出す考え方も。
先日、仕事のことでトラブルの報告を聞き、その根本問題が
「連絡不行き届き」。
言葉足らず過ぎと言うことでした。
「きちんと報告してもらわないとね」と言う同僚に対して私は
「相手の考え方を理解して、慣れておくと言葉足らずの部分がうっすら感じますから、その時先手を打って質問しておくのがいいと思いますよ。でもそれは難しいから…何かあっても慣れておくのがいいかも(笑)」と話すと
「そうよね〜もう慣れてきたわ、またかって」と言うので、
「慣れていくと、その先に悟りの境地が芽生えるかも。老後には必要だと思います」と言うと周囲から笑いが出ていました。
さぁ悟ろう。
変えられない現実がある。
刺激と反応に疲れ果てないためにも、
慣れるしかない。
慣れのその先の日々に必要な悟りを得るために(大笑)
繰り返し体と心に染み入れて、多少の痴呆が出てきても記憶の種を植えておこう。
眠っていた種がいつか何かのきっかけで芽を出して、
あ〜そうだった、と自分を蘇らすために。
80才近い先輩がたまに行動が止まり、
「あ〜そうだった」とまた動き出すのを見て、かわいいですし、ちゃんと彼女らしく年を重ねているわ、と思うのでした。