目が覚める、
と言っても早朝覚醒症状で困っているわけではありません(笑)
この症状を逆手に取って、早朝の仕事を選び起きる様にしていて体内時計が結果を出しているだけです。
加齢って便利(笑)
実は毎日同じ電車に乗る“名前を知らない知人さん”も
「早く目が覚めるので早朝の仕事をしているの」と同じことを言われていました。
私は休日にも体内時計が狂わないように早く起きることにしています。
今日の予定を書き込んだメモを見て、
早速行動し、細かいものを捨て始めました。
①時代遅れの色達が並んでいるアイシャドウ。
➁いつか使うと思っていたファンデーション用ブラシ、2本。
➂数年前に買っていたが使い心地が固くて肌に伸びない日焼け止めクリーム。
➃昨年頂いた年賀状。
➄期限が切れた保証書、数点。
➅旅行用に使うクリーム入れの固まって使えない中身。
➆売ればお金になるかもしれないけれど、書き取り店までの電車代の方が高く付く読まなくなった本。
➇右足底、中指の下の生地が薄くなり
「もうすぐ破れます」と聞こえて来ている靴下。
➈簡易書留が相手に到着、不必要になったレシート。
その他、東日本大震災と言う日を考えて…
➉防災グッズ点検。
すっかり忘れ去られ、苔が生えているような緑に変化してきている電池。
天気が良くなったので、レースのカーテンを洗い、
早々に乾いたので、すぐに付け直して、部屋が明るくなりました。
押し入れの中も整理。
私の若い時の気持ちがたくさん書いてある手帳が出てきまして、
当時の自分の言葉で一番心を表している文面が並んでいました。
行間の空白に見えないものを感じるのはあの時の当人だからなのでしょうね。
年代に考えること、悩むこと。
今の私から見るとすでに解決ズミなのですが、あの頃は必死でしたね。
体内にある過去の心の痛みや楽しかった思い出の時間が強弱の波のように打ち寄せてきてよみがえります。
若いから慎重に考えたり、この後こうなるかも、など、
未来が長いから真剣に考えるからかもしれません。
あの時の時計の針はきっと今とは全く違うスピードで動いていたと思います。
この年齢になると、
考えるのを辞めることが多くなる気がします。
答えがわかっていることも多くなりましたしね。
必要なことは答えを出して、決断しますが、
仕方ないことと、
“仕方なくないこと”とはっきり分けられるようになったからかもしれません。
今までの職場の人が
「もう何も考えたくないし、生きているだけでいいし」
「考えると不安になるから考えたくないわ」と言われます。
考えることを辞めることによって心の健康を保つことを自動的にできるようになったかもしれません。
若い時に諸先輩に
「考えても無駄よ」と言われたときは正直、
「え?」と先輩達の心の在り方を思いましたが、
今となってはそれが正解と思えるようにもなりました。
先日、清掃の60代中間の先輩と何時に寝る、という会話がありまして、
「朝が早いので20時には寝ます」と答えると、
「そんなに早く寝てテレビも見ないでなんの楽しみがあるの?」と言われました。
先輩はテレビを見るのが楽しみな人なので、きっと私の就寝時間が不思議だったのでしょうね。
そして昨日、同じ世代の女性達が集まって会話をしていた時にも
「何時に寝るの?」と言う会話になりました。
するとやはりテレビを見る、見ないという人に別れまして、
「テレビを見ていたら自分の好きなことが全くできない」と言う人が多かったです。
趣味と世代の違いを感じました。
“自分の好き”の意味と生き方が違うことを。
私もまた人生の刺激を受けたり、体の変化によって年を取ると考えが変わると思います。
『風の時代』と言われるぐらい時の流れが速くなり、
年を重ねた人たちが普通に生きて行くのが大変になって来ました。
自分自身の考えの価値は変わらないと思いますが、
思考は変化を必要とし、
柔軟になることで生き抜くようになっていけるような柔らか頭にはしておこうと思います。
何歳になっても過去の自分が教えてくれたように、
“ワタシ”であることで心が安定し、世の中を静かに見続けられるようにしておきたいですね。